還暦を過ぎた元会社の先輩から連絡があった。写真を扱う会社のアドバイザーをしているという。話の中心は当然、写真のことだ。しかし驚いたのは、社員の多くがPCを理解していないというのだ。
PCは命令を実行する道具である。たまにはヘソを曲げることもあるが、その不思議な挙動もPCの個性として楽しんでいた。しかし現代の業務では、そんなことは言っていられない。思えば、DOSのコマンドに苦労し漢字トークに移った。当時のマックは(“シャッキントシュ”ではなかったが)、高価で特別な存在だったことを思い出す。技術の変化とともに、私たちの捉え方もずいぶん変わった。
先輩の話で気になったのは、写真と画像の概念の違いだ。私たちにとって写真は、輸入文化のレトリックに影響され、雄弁に語り、欺くものだと思い込んでいた。欺くのは作者であり、鑑賞者であり、消費者でもある。だからこそ、写真の面白さも危うさも理解できるのだ。
今や写真は趣味の域を超え、PCを軸に扱う専門的な世界になった。写メからはじまり、今やスマートフォンで記録する。日常で扱われるのは画像だが、それも広義の意味では写真である。その意味において、画像は特別なもので無くなる。


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